高校生の頃のレッテルは「やってもダメなやつ」。
情けない事ですが、何も言い返せない自分を良く覚えてます。
学校のテストはイマイチ、中学からやってたバスケットボールでも後輩にポジションを奪われて人生どん底だと思ってました。 ー今思うと大した事無いんですけどね。
特にバスケに当時はものすごくやる気というか、情熱があって正直誰よりも練習していたと思います。それでも試合に出る事が出来なかったんです。 ーチーム自体あまり強く無かったのでレベルは高く無かったので余計に悔しかったです。
「やってもダメ」「器用貧乏」「センスが無い」
そんな考えが頭の中にずっとあって、多分人生で最も暗い人間だったと思います。
卒業して環境が変わったり、追い求められなくなって ー寧ろ追い求めなくてよくなって。 少しずつ性格も明るいものになりました。
と、まあちょっとした身の上話はいいとして、このブログで「努力」という事について別の角度で考えたいという事です。
とても抽象的な意味での「努力」という事についてです。
やり方とか、やる気の出し方ではなくて。
例えば
「努力は報われる」とか「努力した者全てが報われる訳ではない」といった抽象的な意味のものです。
多くの方が努力という事について、名言や格言を発信していますよね。
ー私も本当に勇気づけられています。
明石家さんまさんの
努力に見返り求めるのは良くない。好きなだからやっているだけ。というような発言についての記事を見た事があります。
人は見返り求めるとロクなことしないからと。
明らかに成功している人が言うと、おーって感じですね。
逆に努力すれば必ず報われるから信じて!!という様な格言も沢山あります。
努力して無くても成功してる人もいるって言われる事も。
そりゃあ、それぞれ抱えてるものがまりますしね。
色んなカタチで話になりますよね。
努力という事の定義が、むしろ大切なんだという事です。
いったい何が努力なのかという事です。
さんまさんの言うところの好きな事やってたら結果が出た。ーさんまさんの例は好きな事をしているだけ。とう事なので本人的に努力しましたっていう事ではないのかも。ここではこれも1つのあり方として。
という様なもの。松岡修造さんみたいに結果が出るまで諦めない事。など人によって様々です。
ただ成功している人の定義を真似る事はいい事かもしれません。自分の定義を信じて"努力"して成功されている方の定義は1つの当たりなのでしょう。
私は、何かしらの結果が出たら努力できたと思う事にしています。
私の中の定義は、努力は過去形でしか無いという事です。だから努力しています。とか努力しますとは言えないです。
付け加えて人から努力してると思われようが、していないと思われようが関係無いのかもしれません。
ーでも、現実的に頑張ってる人は応援したくなるという心情が働くのでこれもいずれ考察したいものです。
自分の中で、努力とはこう言うものという定義がはっきりしているなら、無意味な事や間違った方向にいくのではなく、結果について本当に必要な事が見えてくる。
努力という言葉をただ振り回す事や、努力を自分自身で否定する事が無くなる。
それだけで随分気が楽になる気がします。